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執筆者の写真トマトソムリエ・ヒロシ

僕がトマト農家になったわけ1 【高校生編】

更新日:2024年12月18日


はじめに


 このブログでは、僕がトマト農家になるまでのことを書いてみたいと思います。


 両親ともサラリーマンの家庭で育ち、家の周りには畑も田んぼもない地方都市で、農家の人なんて会ったこともなかった僕が、どうしてトマト農家になることにしたのか。

 高校、大学と進学して、東京で就職した僕がいろんな人たちと出会って、やがて山梨に移住してトマト農家になることになった、そんな話をつらつらと書いてみます。

 だらだらと長い話ですので、気長に見てみてください。


 はじまりは高校生の時のことです。

 もうずいぶん前のことで、高校の時からお話をスタートしてしまってはなんだか無駄に長い話になってしまいそうですが、まさに僕の運命の人と出会った時のことなので、はぶくわけにはいかないでしょう。




高校生編

 

 僕が初めて彼女に会ったのは、高校2年生の文化祭の時でした。

 僕たちが通っていたのは、瀬戸内海に面した田舎の高校で、山の中腹の崖の上みたいな場所に建っていて、通学路は長い長い坂道をずうっと登っていかなければいけないような所でした。  毎日の通学はしんどかったですが、学校からの眺めはとてもよくて、教室の窓からは瀬戸内海に浮かぶ島々を遮るものなく眺めることができました。


 当時、僕は美術部に入っていて、油絵なんかを描きながら、美大を受験するかどうか悩んでいる頃でした。 絵は下手でしたが、将来は画家になりたいと思っていました。

 理由は単純で、毎朝起きて会社に通うサラリーマン生活をしたくなかったからです。

 画家になれば、毎晩夜更かしして、次の日は昼頃まで寝ていられると思っていました。僕は怠惰な学生だったのです。


 そんな怠けものな夢を胸に秘めて教室の隅でボーっと海を眺めていた僕とは正反対で、彼女はクラスの人気者で、成績優秀で、他の学校の男子生徒にも知られるくらい可愛くて、いつも皆の中心にいてキラキラ輝いているような存在でした。

 こう書くと恋をしていたみたいですが、テレビに出ている芸能人を見ているみたいな感覚で、そのくらい僕とかけ離れた存在だったのです。

 同級生で、2年生からは同じクラスだったのに、秋の文化祭で初めて話をした、というのはそれくらい、それまでの僕らは交差することがなかったということです。


 文化祭の日、部活やクラスの出し物がガヤガヤと出揃って、僕らのクラスでも当時流行っていたメイドカフェもどきを教室でやっていました。

 僕は接客なんてするのはイヤだったので、美術部の方が忙しいからと言い訳して、部員の絵を展示していた美術室に籠もっていました。

 実際は、美術部の仕事といえば、前日に絵を飾ってしまえば終わりなので、受付の椅子に座っているくらいしかする事はないのですが。

 しかし、9月の残暑に加えて校舎には人がごった返して蒸し暑い中、美術室というのは冷房が効いているので、こんな快適な場所はありません。僕はオアシスの中で一人、ジュースを飲みながら本を読んでいました。


 皆さん高校の時の文化祭というものを思い出してもらうと分かると思いますが、美術部の展示なんてものには大抵の人は興味を示さないので、殆どが誰も来ない静かな時間でした。

 展示している絵だって、画家志望の僕から見たらヘタクソなものばかりです。

 かくいう僕の絵も、そんなヘタッピ絵画展の真ん中に堂々と居座っていました。


 僕の絵はまず一番大きくて、ある時美術の先生が1m✕1.5mくらいのキャンバスを持ってきて、「なんか貰って来たから使いたい人いる〜?」と部員に聞かれたのを、大作を描ける予感を感じて手を挙げたのが始まりでした。

 せっかく大きいから何か物語的な絵にしようと決めたはいいのですが、全く筆が進まないまま時間が過ぎていき、僕はそのキャンバスを一旦寝かせて、アイデアが下りてくるのを待つことにしました。

 その後1年程寝かせていると、先生から「なんも描かないの?」と言われたのを機に、ついに作品に取りかかることにしました。

 早くしないと文化祭に間に合わないということで、テーマはサクッと決めました。

 当時アニメのリメイクをやっていた「宇宙戦艦ヤマト」からイメージして、「深海から飛び出して、銀河を目指す謎の深海生物」に決めました。


 絵的には、下は暗い深海から段々明るい水色になっていき、水平線、白んだ空から宇宙に向かって星々が輝くのを背景に、謎の深海魚が駆け上がっていく、というものです。

 最初に背景を描いていくことにして、これはとても上手く出来上がりました。

 しかし、そこから宇宙へ飛び立つ謎の深海魚を描く段になって筆がピタリと止まってしまったのです。

 僕の中ではチョウチンアンコウとサメとスペースシャトルをごちゃ混ぜにしたようなデザインにしたかったのですが、想像力の限界でうまく形にすることができませんでした。

 一ヶ月くらい、うんうんと考えてみたのですがどうしても思いつかず、ラッセンみたいなイルカでも描いとくか、とも思いましたが何だか気乗りしないのでした。


 そうして、絵を完成させられないまま時間は過ぎ、ついに文化祭の日を迎えてしまいました。

 仕方なく未完成のまま絵を展示することになりましたが、主役不在ではやっぱり寂しい。

 そこで思いつきで、羽ばたく鳩の石像を紐で結んで絵の前にぶら下げてみました。

 するとこれが躍動感があって案外良い感じになったのですが、「鳩が重たくて危ないよコレ。」と先生に言われボツになってしまいました。

 替わりの品を探していた僕は、準備室で静物画の練習用のプラスチック製のバナナを見つけました。軽いし、真ん中ら辺が紐で縛りやすく、いい感じに三日月みたいに吊るすことができたので、「空飛ぶバナナムーン」と命名して僕の絵はついに完成したのでした。


 大きな青いキャンパスの前にバナナがぶら下げてあるだけのシュールな絵を見て、大抵の人は「なにこれ(笑)」と笑っていました。

 しかしこれが意外な人気を集め、展示品の投票をやっていたのですが、なんとこれで1位に輝いたのです。

 未完成で展示することになる筈だった絵の思わぬ成功に僕は大満足で、市が開催する絵画展にもこれで出品しようと意気込んでいたのですが、美術の先生から「市の絵画展にはバナナ出さないでね。」と釘を刺されてしまいました。


 そんな僕の絵を笑うことなく褒めてくれた人が2人だけいて、一人はどこの誰とも分からない杖をついたお爺さんで「ふむふむこれはいいね。」と言ってくれました。

 そしてもう一人が彼女でした。


 3時頃、美術室の受付に座って本を読んでいると、彼女がふらりと一人でやって来ました。クラスのメイドカフェの衣装を着ています。


「お疲れさま。カフェの方はどう?」


僕が声をかけると彼女は大きな黒い瞳でこっちをジロッと見下ろしました。


「大忙しよ。こんな所でサボってる人もいるしね。」


 クラスでやっていたメイドカフェの方にはついぞ近づかなかったので、後から友達に聞いたのですが、本当に大盛況だったみたいで、彼女を目当てにやって来た他校の男子生徒が教室の外の廊下まで長い列を作っていたんだとか。


「サボってる訳じゃないよ。僕も美術部の仕事が忙しくてサ。」


 頭をポリポリとかきながら、机の上の文庫本とジュースをサッと隠しました。

 彼女はふーんと疑り深く目を細めてみたあと、ふっと口元を緩めて、


「まあいいわ、美術部の展示、石原君もなにか描いてるの?」


と聞いてきました。彼女は珍しくも、美術部の展示に興味を示してくれた人でした。


「うん、僕のもあるよ。自信作だからよかったら見ていってよ。」


 僕は学校一の美少女からもひと笑い貰おうと思って、前フリを言ったつもりだったのです。

 しかし、「空飛ぶバナナムーン」の前に立った彼女はふーんと顎に手を当てて眺めると意外にも、


「いいね。絵のことはよくわからないけど、すごくいいと思う。」


と真面目に言ってくれました。


「あ、ありがとう。」


 僕は予想外の称賛の言葉に戸惑ってしまいましたが、彼女はしばらくの間絵を隅々まで見ているようでした。

 僕の絵を見つめる凛とした横顔に見惚れていると、やがてこっちを向いてニっと笑いました。向日葵が咲いたようなそんな笑顔でした。


 その後は、美術室の展示品を一周案内しましたが、10分もかからず回れてしまい、そうして僕の初めての美術館デートは終わってしまったのでした。


「絵すごく良かったよ。少しはクラスの方も手伝ってよね。」


帰り際にそう言ってまたニコッと笑ってくれたので僕の方も、


「ありがとう。行けたら行く👍」


と最大限努力することを約束しました。


 その後はポツポツとお客さんが来るくらいで、謎の杖の老人が来て僕の絵を褒めてくれたりしました。

 5時になって文化祭が終わりになると、美術部員達で展示品を片付けて、近所のお好み焼き屋さんに打ち上げに行きました。

 たらふく食べて帰路についた僕は夜の月を見ながら、母親に晩ごはんいらないって連絡し忘れた事をハッと思い出していたのでした。



 文化祭の日以降、彼女は時々教室の僕の席の方に来て話をするようになりました。絵の話。本の話。勉強の話。

 ともすると僕の絵の才能にドキッとした彼女が僕の事を好きになってしまったんじゃないかと思ってしまいそうですが、彼女には恋人がいました。1つ上の3年生で、イケメンで背が高くサッカー部のキャプテンというイケイケな人です。

 いつもイケイケ集団の中心にいて、どうして彼女が陰キャ美術部の僕のところへ話しに来るのかは謎でしたが、何かがハマったのかもしれません。


 さて、高校2年生の終わりになるといよいよ受験に向けて進路を決めなければいけない時期ですが、僕はその頃には美大の受験を諦めていました。

 生意気な話ですが、「空飛ぶバナナムーン」の制作で産みの苦しみみたいなものを味わってしまったことで、僕は完全に尻込みしてしまいました。

 こんなのを生業にするのは無理だと悟り、普通の大学を志望することにしたのです。

 しかし、やりたいことは特になく、何となく父親も行っていたという東京の私立大学を受験してみることにしました。法学部とか経済学部とか、何でもよかったのです。


 彼女の方はというとかなり成績が良くて、国立大学でも有名私大でもどこでも行けるだろうと言われていました。

 彼女は東京の演劇部が有名な私立大学に行きたいそうで、将来はテレビ局のアナウンサーとかに興味があるんだと話していました。

 彼女は、僕がこれまで会った中でも他にいないくらい綺麗で可愛かったですし、こういう人がテレビに出るようになるんだなあ、と納得していました。



 3年生に進級すると、ますます勉強勉強の日々になるのですが、僕はというと何となく身が入っていないような、ふわふわした気持ちで過ごしていました。

 「東京一緒に行こうねっ」と言ってくれる彼女にボーっとしていたのかもしれません。

  彼女の方は、付き合っている先輩が卒業して他県に行ってしまったため、遠距離恋愛で寂しいようでしたが、それをぶつけるように勉強に打ち込んでいました。

 本当ならその寂しい心に付け入るのが上手いやり口なんでしょうが、恋愛経験の乏しい僕にはそんな手腕はないので相変わらずいいお友達でしたが、だんだん彼女だけでなく周りの陽キャ軍団とも仲良くなってよく話をするようになっていました。


 その頃には、彼女とは将来のことや家族のことなどざっくばらんに話をしていて、彼女の事をだんだんと知ることができていました。

 瀬戸内海に浮かぶ離島の出身ということ。島には高校がないからとこっちに出てきて、今は一人暮らしをしていること。毎週末は実家の島に帰っていること。お父さんは海上自衛官で潜水艦に乗っていたけど、小さい頃に病気で亡くなってしまったこと。弟と妹がいること。などなど。



 ある朝のこと、僕が駅前のマクドナルドに並んでいると後ろから肩を叩かれ、振り返ると制服姿の彼女が立っていました。


「おはよう。君も朝マック?」


僕が聞くと彼女は首を振り、耳元でコショコショと話しました。


「何してるの?全校集会もう始まっちゃうよ!」


 いつ頃からだったかは忘れましたが、僕は全校集会というのはなんとなく出なくてもいいんじゃないかなと思っていて、いつも1時間目の授業が始まる時間に登校していました。

 夏は暑い日差しの中、冬は寒風に耐えてまで校長先生の無駄に長い話を聞きたくないな、と思ったのです。

 それで、空いた時間を有効利用しようと思い、少しだけ早く家を出てより道し、朝マックを食べてコーヒーを飲んでから登校する、というのが月一の全校集会の日のルーティンになっていました。

 彼女は無遅刻無欠席の優等生だったのでこんな場で出くわすのは初めてでした。


「ちょっと腹痛で、2限目の世界史から出席しますって先生に言っておいてくれない?」


お腹をさすりながら僕が頼むと彼女は顔をしかめました。


「お腹が痛い人がなんで朝マック買ってるのよ。それに1限目の体育もどうするの。長距離走だからサボりたいんでしょ。」


 彼女は追及の手を緩めないので、僕は店員さんとの注文のやり取りで耳に入っていない風を装いながら、やがて出来上がったマックの紙袋を受け取りました。


「ほら、早く行かないと君も遅刻するよ。行こう。」


 そう言って店を出ると一緒に学校の方に歩き始めました。

 しかし、遅刻しないよう急いで行きたい彼女に対して、僕はゆっくりした足どりなので彼女はじきにイライラしてきました。


「早く行こうよ!もう、どうしてそんなのんびりしてるのよ!」


と声を荒げます。


 「僕はそのへんで朝マック食べて、コーヒー飲んでから行くよ。君も一緒にどう?」


と言っても、腕をグイグイ引っ張ってきます。

 だんだん彼女は怒ってきましたが、僕はなんだかそれが可笑しくなって笑ってしまって、


「僕のことはいい。君は先に行ってくれ。」


と、映画の台詞みたいなことを言ったりしているうちに、彼女は「もういいっ」と言って走り出しましたが、2、3歩駆けたかと思ったら足を止めてしまいました。


 腕時計をチラっと見てふーっと息をはくとぶすっとした顔で振り返りました。


「私の分のコーヒーもあるんでしょうね!」


僕は笑顔でマックの紙袋を指さしました。


「もちろん。」




 僕らは海の見える小さな神社のベンチに腰をおろしていました。

 そこは学校に続く長い坂道の途中を折れて、細いぐにゃぐにゃした道を進むと辿り着く秘密の場所です。これまた崖の上に立っている、近所の人しか来ないような小さな神社です。


「いっつも全校集会にいないなと思っていたけど、こんな所で油を売っていたわけね。」


 彼女は呆れたような顔で僕を眺めました。珍しく寝坊して走って登校していたら、駅前のマックに入っていく僕の背中を見つけたそうです。


「はい、コーヒー。砂糖とミルクもあるよ。」


彼女にコーヒーを渡すと、「ありがと。」と言って受け取りました。


「どうして私も一緒にくるって分かったの?」


「別に一緒に来るかは分からなかったけど、何となく。僕だけだったら一人で2杯飲んだだけだよ。マックマフィンも食べる?」


 マフィンも2つ買っていたので渡すと彼女はふうと溜め息をつきました。 僕はまたなんだか可笑しくなって笑ってしまいました。


「朝から賭けに勝っていい気分だ。」


もう高く登った朝日に照らされて、瀬戸内海がキラキラと輝いていました。



 それ以降、月一の全校集会の日は彼女にとっても朝マックデーになったみたいで、僕らは自然と神社で会うようになりました。

 マフィンを頬張ってふふっと笑いながら彼女は僕に言います。


「石原君は見かけによらず悪い男ね。優等生の美少女をこんな風にサボらせるなんて。」


彼女の黒い髪が風にそよいでました。


「自分で美少女って言うんだ(笑)それに、悪いことはしてないよ。僕らはまだ朝ご飯も食べてないんだから。」


僕もマフィンのつつみをといてかじりつきました。



 そんな秘密の朝の会を何度かしていましたが、梅雨明け宣言が発表され夏休みが目前の頃、彼女がひどく暗い顔をしている時がありました。

 爽快な海の景色とは裏腹に、どんよりと沈んでベンチに座っている彼女の横で僕も黙ってちびちびとコーヒーを飲んでいました。

 コーヒーを飲み終わると、鞄から本を取り出して読み始めました。当時、伊坂幸太郎の小説にはまっていて、本の続きが気になって前の日もあまり寝ていないくらいでした。

 彼女はこちらをチラリと見ると溜め息をついてポツリと言いました。


「ふつう、こういう時ってどうしたの、とか何かあった、とか聞かない?」


僕は本を閉じて鞄にしまいました。


「どうしたの?何かあった?」


 僕が聞くと彼女は目を細めました。

 そしてポツリポツリと話始めました。どうやら年上の彼氏が大学で浮気をしていたようで、別れる別れないで揉めているらしいのです。

 恋愛経験の乏しい僕は特にアドバイスすることもできないので「ふうん。」とか「そうなんだ。」と言うことしかできませんでした。

 やがて彼女は海の方に顔を上げると、大きく伸びをしました。


「あーあ、なんか学校行くのやんなっちゃった。」


片腕を上げて、もう片方の腕を曲げて肘のあたりを掴んでストレッチみたいにしています。


「僕は毎日学校行くのイヤだなーって思ってるよ。」


僕も同意すると、「ほんとに?」と言って彼女は笑いました。


「実家の島にでも帰ってみたら?気分が変わるかもよ?」


僕の提案に彼女は首を振りました。


「失恋する度に実家に帰ってたんじゃ、東京の大学なんて行けないよ。それより、今日はどっか遊びに行っちゃおー。」


彼女はおーっとこぶしを上げました。


「学校サボるってこと?」


と僕が聞くと、


「石原君だっていっつもサボってるでしょ。」


と指をさされました。

 ちなみに僕は集会とかホームルームとかイベントとかは出席しなかったりしますが、基本的に授業にはちゃんと出席していたし、学校を一日サボるなんてのは後にも先にもこの時の一回だけでした。


 僕らは話し合った結果、神社から見えていた、海を挟んで向かいの島へ行ってみることにしました。

 調べてみると近くの街の港からその島に向かってフェリーが出ているようでした。そこはあっちこっちの島とをつなぐ港のようで、彼女も帰省の時にはいつも使っていると言っていました。

 早速港に行って、チケットを買い船に乗り込むと、じきに汽笛が鳴って船は出発しました。

 僕らは甲板にあるベンチに並んで座っていると、やがて船がくるりと旋回し港を離れていきました。



「さらば本州。また会う日まで。」


山の中腹の崖の上には僕らの高校が見えていて、みるみると小さくなっていきました。


「なんだか変な感じね。今頃みんなは古典の授業を受けてるわよ。」


 彼女はそう言ってクスクス笑いました。その顔が可愛くて、これが駆け落ちの旅だったら最高だなあと僕はほっとため息がでるのでした。


 しかし、見えている島への船旅というのは案外早いもので、30分もしないうちに到着のアナウンスが流れてきました。

 未開の島に降り立った僕らは、まず港にあった観光案内板を見てみました。少し歩いた所に「見晴らしの丘」という展望台があるらしいのでそこへ行ってみることにしました。


 海沿いの道をしばらく歩いて行くと、すぐに僕らの身長よりも高い堤防が現れて海が見えなくなってしまいました。

 台風がよく通る地域なので島は堤防が高いのかなーとか思っていると、「なんも見えないじゃん。」と呟いて、彼女はいきなりコンクリートの壁に飛び付いてスルスルっと登ってしまいました。  堤防の上に立って悠々と海を眺めている彼女のスカートの中が見えてしまわないかと、僕は気が気ではなかったのですが、逆光でよく見えませんでした。

 彼女に手を貸してもらって僕も登ってみると、コンクリート壁の上は50cm程の幅があり、僕らはその上を2人して歩いて進んでいきました。


「よくこんな高い壁登れたね。」


と僕が感心していると、


「島産まれですから。」


と得意げなわんぱく坊主みたいに鼻をこすっていました。

 しばらく行くと、「見晴らしの丘こっち」という看板があって、森の中の山道みたいなところに入って行きました。

 そこから30分くらい舗装されていない道を登っていくとやがて木々が開けてきて、最後に石段をこえると公園の駐車場のような場所に到着しました。

 僕らは息を切らしながら顔を見合わせ、「もうちょっとだ」と頷きあいました。

 そして公園の中のゆるい坂道を進んで行くと、頂上に「見晴らしの丘」と書かれた展望台に到着しました。


「ついたー。」


「けっこう登ったねー。」


「うん、でもすごくいい眺め。」


 展望台の後ろにはもう一つ山がありましたが、それ以外は300度くらいは開けていて、瀬戸内海とそこに浮かぶ島々が見えていました。

 ベンチに腰をおろして、自販機で買ったキリンレモンをぷしゅっとあけて流し込むと、渇いた喉に染み込んでいきました。

 展望台には日除けの屋根があったので日陰になっていて、海風が火照った顔を冷やしてくれます。

 目の前の島と島の間を縫うようにフェリーが横切って行き、航路の跡に白い泡と波の線を残していました。


「あ、私の島も見えるよ。あれだ。」


 展望台から見えている島の図みたいなのを見ていた彼女が声をあげました。指差してどの島か教えてくれます。


「へえーあれかー。」


丸っこい山が2つある島で、おっぱいみたいだな〜と思っていると


「いつか遊びにおいで、案内してあげるから。」


と屈託なく笑っていてドキドキしてしまいました。

 え、それって実家にご挨拶ってこと、とか。

 僕らは彼女の島の話をしたり、しばらくボーっと海を眺めていましたが、軽い山登りをしたからかお腹が空いてきたので丘を下りることにしました。

 来た道を下りて港の近くのお好み焼き屋さんでお好みうどんを食べ、次のフェリーの時間までは港で桟橋に群がる魚を見たりして過ごしました。


「お父さんは昔、こんな大っきい魚を釣ったのよ。」


両手を目一杯広げて彼女は言いました。


「そんな巨大魚が瀬戸内海にいるかなー。」


僕は笑ってしまいましたが、


「家に魚拓があるんだから。額に入れて飾ってるのよ。」


彼女は港に出ている杭?に片足を乗せて得意げにフフンと鼻を鳴らしました。

 帰りのフェリーの甲板の上で、彼女はなんだかスッキリした顔をしていて、


「今日はありがとう。なんか元気でたかも。」


とお礼を言われました。やっぱり島産まれだから、船に乗って島に来るとパワーをもらえるのかもしれません。



 港に帰ってくるとちょうど12時の鐘が鳴るところでした。

 僕らは学校に行って、午後からは授業を受けましたが、なんだかいろいろ満足していたのもあり、ほとんど寝て過ごすことになりました。

 彼女の方もウトウトしていたようで、帰りのホームルームが終わった後で「超眠かったねー。」と笑っていました。

 周りの陽キャ軍団が「午前中どうしてたのー?」と彼女に聞いていましたが、彼女は「ちょっちね〜」とはぐらかしながら人差し指を口に当てて、ニヤッと僕の方に視線だけを送ってきたのでした。



 こんな二人だけの秘密の思い出ができてしまったものだから、もしかしたら僕も彼女と付き合えることになるのでは!?、と淡い期待を抱いていましたが、後日、彼女は先輩とあっさりヨリを戻したんだとさ。


おしまい



次回、「浪人編」!?

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