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執筆者の写真トマトソムリエ・ヒロシ

僕がトマト農家になったわけ4 【浪人編】


◆前回

 大学受験に全落ちした僕は、晴れて浪人生の身となったのでしたが、その第一歩目から浪人生活につまづき、予備校で出会った東大志望5浪目というヤバい奴(岡野)と親交を深めていったのでした。






オンボロサイクル・ダイアリーズ



 五月病ならぬ、4月の半ばにして僕はすでに浪人生活にほとほと嫌気がさしていました。


 勉強勉強&勉強


 みんなよく平気な顔でお勉強していられるなと信じられない気分でした。


 そんな僕は、自然と岡野や、何浪もしている人達のコミュニティの方へ、ふらふらと吸い寄せられていくのでした。


 浪人生のくせに、昼からビールを飲んでいるような不良達でしたが、不思議と悪い連中ではなく、ロボットみたいにガリガリと一日中勉強し続けている予備校生達よりははるかに人間的に見えたのです。




 そんな僕は、精神的な窮屈さからか、主人公が世界を旅する小説やロードムービーにハマっていて、面白そうなものを見つけては読み漁っていました。

 自転車で世界一周した人の日記や、若き日の革命家チェ・ゲバラがバイクで南米一周した時の本などです。



そんな話を岡野にしていたら、彼も読んだことがあったみたいで、


「俺も読んだ!面白いよな~あれ。」


と頭の後ろで手を組んで本の内容を思い浮かべてていたみたいでしたが、

目をキラっと光らせると、「そうだっ!」と言って立ち上がりました。



「俺達も旅に出ようぜ! こんな、予備校なんかに籠もって、お勉強なんかしてちゃダメだ!

旅に出て、世界を見て、見聞を広げるんだ!」



みんなが静かに勉強している自習室に、岡野の声が響きました。







季節は夏になっていました。


梅雨も終わって旅には絶好の時期です。


退屈な浪人生活に飽き飽きしていた僕は、そのアイデアに賛成しました。


そうして僕たちは、夏休みの期間を利用して、自転車で九州一周する旅の計画を立てたのでした。





※ 本来、浪人生にとっては、夏期講習や模試で予定がギッチギチなので、夏休みなんていう概念は存在しないのですが、僕も岡野も、予備校の夏期講習に申し込みしていなかったので、20日間程ぽっかりと予定が空いていました。


 僕は短期間に無理に詰め込む勉強が嫌で、岡野は「毎年受けない事にしている。」と言っていました。






  かくして、7月の終わり、登山用のリュックに荷物をパンパンに詰め込んで、僕はママチャリに跨り、岡野はどこがで5000円で買ったというボロい自転車に乗り込んで、九州一周の旅に出発したのでした。


 僕らのいた中国地方からずーっと西を目指して、山口県の下関から関門海峡を渡り、九州に渡ったら、時計回りで海沿いを一周するという計画でした。


 総距離がどのくらいだったかは忘れてしまいましたが、適当に見積もってみた結果、たぶん20日くらいでいけるだろうということになりました。






 晴れ渡る夏空の下、僕らの旅は順調に進みました。

 お尻が擦れて痛くなったり、2日目以降はずっと筋肉痛だったりしましたが、大きなトラブルもなく、とにかく西へ西へと自転車をこぎました。


 岡野のボロい自転車にはギア変速がついていなかったので、坂道ではヒイヒイ言いながら立ちこぎをしていました。





 途中、どこだったか忘れてしまいましたが、海沿いの道にボートレース場があって、ちょうどレースの開催日だったので休憩がてら立ち寄ってみることにしました。


 売店でビールと焼きそばを買って席につくと、モサモサと焼きそばを食べながらボートレースを眺めました。

 人ひとりが乗れるくらいの小さなボートに膝立ちみたいなよくわからない格好で乗り込んで、水しぶきを上げながら凄い勢いで旋回していて、それを6人くらいが近い距離に並んで走っているのでぶつかってしまいそうでなかなかにスリリングでした。


 気がつくと、先に食べ終わった岡野は、舟券を買ってきていました。


「いえい、当たったら今夜は豪遊だぜベイビー!」


ご機嫌で言っていましたが、全部外れました。


「ちぇっ。次はお前も行こうぜ。」


 建物の中の舟券売り場には人がたくさんいましたが、その全てがおっさんか爺さんで、皆シャカシャカのジャンバーみたいなのを着ていました。

 それがボートレース場のドレスコードとはつゆ知らず、僕らはTシャツ短パンという場違いな格好で迷い込んでしまったのでした。



 売り場のあちこちにテーブルがあって、みんなそこに向かって一生懸命書き物をしているようでした。

 「こっちこっち。」と岡野が空いているテーブルを見つけて引っ張っていかれました。


 テーブルには鉛筆とマークシートの紙がおいてあって、それに記入したものを機械に読み込ませて舟券を購入するシステムのようでした。

 いつの間にかボートレースの新聞を手に入れてきた岡野は、授業中には決して見せないような真剣な眼差しで新聞とにらめっこしていました。


 「お前もいっこ買ってみ。」と言われましたが、僕はよくわからなかったので、オッズが表示されている電光掲示板から倍率の高そうなのを適当に見つけて何点か買いました。

(1個100円から買えました。)


 そのレースは二人共ハズレてしまいましたが、岡野はだんだんと熱を帯びてきているようでした。

 マークシートを塗りつぶしながら、


「なあ、俺たち今、超実戦的な模試やってんな。センター試験はこれでバッチェ、オッケーだぜ。」


と言ってニヤリと笑いました。



 当時のセンター試験もマークシートに解答するスタイルだったのでその事を言っていたのでしょう。


 しかし、僕らがこうしている間にも他の受験生達はホントの模試を受けているだろうに、全然オッケーな訳はありませんでしたが、僕も「だな。」と答えておきました。





 そしてなんと、そのレースで僕の買った舟券が的中してしまったのです。


 高倍率のやつばかり買っていた僕の舟券は、なんと3万円もの配当になっていました。

 払い戻し機から出てくる一万円札を手に取り「おおお。」と興奮する僕に、


「やったな!この波に乗らない手はないぜ。次のレースは大勝負だ!」


 岡野は、勝った金を全て次のレースに賭けるべきだと主張しました。

 そして、強気の岡野に引っぱられた僕も、なんだかいける気がしてきて、次のレースにその3万円を全て投じてしまったのでした。





 しかし、ビギナーズラックとは恐ろしいもので、そのレースでもまた僕は的中してしまったのです。

 僕はあまりギャンブルに熱をあげる人間ではないのですが、その時ばかりは


「行け!行けー!」


と叫んで、ボートがゴールすると岡野と抱き合って喜んでいたのでした。


 そうして少しづつ正気を失っていたのです。


 配当金は35万円くらいまで跳ね上がっていました。







 僕らはそれを、さらに次の最終レースにつぎこみます。


 その時ばかりは、マークシートを塗る手が震えました。


 こんなのは模試でも、センター試験の本番でもなかった経験でした。

 緊張と興奮と期待で一杯で、負けることなんてチラリとも頭をよぎりませんでした。



「落ち着けよ、落ち着いてよく考えて選べ。考えるんじゃなくて、感じるんだ。いいか。」


岡野も興奮でよく分からないことを言っていました。




 僕は最高に研ぎ澄まされた感覚で、3点を選んで買いました。

 一つ10 万円で、全部で30万円の大勝負です。





 きりが悪かったので、残りの5万円は財布に入れておきましたが、結果的にこれだけが僕らのもとに残ることになりました。


 レースは惜しいところもなく、あっさりと負けて終わりました。


「行けえー!行けえーー!うあああぁぁぁぁーーー!」


 絶叫して、30万円の紙切れをビリビリに破り捨てると、僕たちは、急ぎ足でボートレース場を後にしました。


  こうして、僕たちの超実戦的なセンター試験の模試は、大いなる教訓を得て終わったのでした。




つづく


次回、「小さな入り江」!


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